企業TOPインタビュー

塗装・メッキが持つ可能性を地域と連携して広げていきたい。

株式会社ワカヤマ
代表取締役 若山 健太郎

更新日:2023年5月31日

1982年 福井県鯖江市生まれ。
2005年 オレゴン大学卒業。
2006年 金属加工会社にてプレス、組み立て、磨き、検品業務に従事。
2008年 株式会社ワカヤマ入社。
2016年 代表取締役就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

マーケティングを学びにアメリカの大学へ。きっかけは「コシヒカリ」。

メッキ、塗装を手掛けるワカヤマは1986年に父が創業した会社で、次は自分が継ぐのだろうなということは子どもの頃から何となく思っていました。34歳のときに社長を受け継いで、現在はようやく自分のやりたいことにも挑戦できるようになってきたところです。

私自身は鯖江市で生まれ育ち、地元の進学校に進みましたが、その先はアメリカの大学に焦点を合わせていました。中学2年生のときに地元新聞社の企画でアメリカに2週間ほど行く機会があって、そのときの印象もあってアメリカに行きたいと思っていたのですが、高校では問題児扱いされていましたね。進路調査で第一希望から第三希望まで「アメリカの大学」と書いたら、校長室に呼び出されました。「英語なんて勉強したって仕事ないぞ」と言われたので、「ちゃんと話、聞いていますか?英語”で”勉強しに行くだけです」と伝えたところ、当然呆れられて前代未聞の問題児扱いでしたね。でも、おかげで中国語の勉強が頑張れました。

アメリカの大学に行きたかったのは、マーケティングの勉強がしたかったからです。どうしてマーケティングかというと、福井の人は真面目で寡黙で、やっていることはすごいことなのに、それを伝えられていない。口下手で勿体ないなとずっと思っていたんです。

例えば小学生の時、課外授業で「コシヒカリは福井で何年もかけて品種改良したお米なんですよ」という話を聞いて、すごくうれしかった。でも、有名なのは新潟魚沼産のコシヒカリだという悲しい現実を中高生の頃に知らされたんです。だからマーケティングを勉強したかったんですね。私は自分がこうだと思ったら、周りが何を言おうが絶対にやりきるタイプです。英語が得意だったことも後押しとなり、目標を貫いてアメリカに行きました。

現場でものづくりのイロハを習った5年間は財産に。

アメリカから帰ってきて、本当は少しの間、違う業種の仕事をしたかったのですが、父から「眼鏡工場の社長と話がついているから修業してこい」と言われ、そこから2年間、プレス、組み立て、磨き、検品など、金型と営業以外のものづくりの全ての工程を経験しました。3カ月で一人前になってやろうという気持ちで頑張って、広く浅くですが、金属加工のイロハを学ぶことができました。

3カ月で一人前なんて無謀なんですが、そう思ってやっているので雰囲気がそうなってたみたいで、「何年目?」と聞かれて「3カ月です」って答えると「どうしてたった3カ月で何でもできる感を出すんや。紛らわしい!」って怒られたこともありました(笑)。その後、ワカヤマに入社し、メッキや塗装を勉強して、ものづくりのひと通りを経験しました。眼鏡工場の2年とワカヤマの3年、合計5年かけて現場でのものづくりを習得しました。

その後、営業を5年くらいやることになるのですが、現場を見てきているので、職人さんたちが褒めてもらいたいポイントが分かるんです。モノを見た時に「この加工って難しいんですよね」と言うと、「兄ちゃん、分かってるな」ということでいろいろ教えてくれるようになって、仕事を貰えたりしましたね。あの5年間の経験は自分にとってとても有意義だったと思います。

きれいに、簡単に、気持ちよく仕事をする「ワカヤマの3K」を掲げて。

2016年に、父から「60歳になったから社長を代わる。まだお前には能力がないから伴走期間を長く取る」と言われて、社長になりました。最初の1年間は本当に何をしたらいいのか分からなかったです。まず、父とは顔も性格も考え方も違ったし、父の世代の社長は圧のある怖いタイプの人が多かったと思うのですが、父もそういうマネジメントだったんです。

ある時、工場長が見積書を書いてくれないので、どうしてかと尋ねたら、「以前書いたら前社長に怒られたので二度と書かない」と話してくれたんですね。これは積極的にやろうとしたら怒られて、やる気を折られてしまった社員がたくさんいるなと感じて、まずはそこから始めようと思いました。全社員から、今まで嫌だと思っていても言えなかったことを教えてもらう時間を合計6時間設けて、それを改善していくところから始めました。振り返ると、実際に口に出すことで改善されていくという経験を通して、結果的には意見が吸い上げられる環境づくりをしていたんだなと思います。

あとは、当社にも社是などがあったのですが、難しくて長かった。理解できていないことを元に行動しろというのも無理な話ですし、もっと分かりやすいものに変えていきました。全員に伝わる言葉を考えてみようと思ったら「きれいにしましょう、簡単にしましょう、気持ちいい仕事をしましょう」の3つの言葉に収まった。これは「3K」でいいじゃないかと思ったんです。

メッキ屋というのは、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)の代表格で、かつて「良い会社ですね」と言ってくれた大学生が内定辞退してきて理由を聞いたら「祖父がメッキ屋は3Kだからやめておけと言うんです」と言われたこともありました。こちらとしては悔しいですから、それなら真逆の「ワカヤマの3K」を目指していくのが、私らしい経営の在り方かなと思ったんです。

お客様のためになることは全て仕事。仕事の定義を変えていった。

「簡単にする」というのは、いわゆる「標準化する」ということ。でも標準化という言葉では伝わりにくいですよね。「誰でも使えるように簡単にしましょう」というのであれば、仕事しやすく整頓するのもそうだし、明日やってくる新入社員にもすぐ引き継ぎできるように物事を分かりやすくしておく、ということも理解できる。

「気持ちよくしましょう」は、当社の場合は挨拶から始めました。出社してきて「おはようございます」と言っても誰も返事をしない職場だったんです。それは気持ち悪いし、部活で元気に挨拶していた子が社会人になったら誰も返事してくれないとなったらせっかくの元気がなくなってしまう。ひとの人生を良い方から下へ足を引っ張るなんて良くないと思ったんですよね。

気持ちいい職場を作るためにはまず当たり前のことを当たり前にやろうと、恥ずかしながらそこから始めました。いまは、来社するお客様に「いろいろな工場に行きますけど、これだけ皆さんから『こんにちは』と言われる会社は初めてです」と言っていただける。こういった気持ちの良い職場さえ作っておけば、自然と人は集まって来ると思っています。

きれいに、という点で言うと、当社はメッキ屋にしてはきれいな方だったのですが、よく見るとやっぱりあちこち汚れているなと感じていました。それで、まずはお盆休みに廊下をひとりで塗り直したんですね。業者に頼むと見積もりが80万円だったので自分でやろうと。そうしたら熱中症で倒れて入院しちゃったんです(笑)。でも、それが良かったのか、社員も手伝ってくれるようになりました。

そうすると、自分たちで塗ったところは、その後汚さないんです。最近知ったんですけど、それがイケア効果と呼ばれていて、自分の労力をかけたものには愛着が生まれるということなんですね。

それが分かったので、その後は計画的に社員と一緒にやるようにしました。ひとりでやっていたものを20人でやれば早いですし、1か所きれいにすると他の場所が目立つので、社員から「きれいにしてほしい」という声がくる。じゃあ次の大掃除の日にみんなでやろう、という風に、みんなできれいにする雰囲気になっていきました。

最初は、社員にこういう作業をやってくださいと言いにくかった。昔は「お客様がお金をくれるもの」が仕事だったからです。でもいまは「現在の仕事の定義は違いますよ」ということを伝えています。

「この先お客様のためになる可能性があることは全て仕事です。あなたたちが不良品を出したらお客様のためにならないので、教育の時間をしっかり取るから、ちゃんと勉強してください。掃除は、お客さまはこんな田舎の田んぼの真ん中に建っている会社に自分の大事な商品を任せていいのか不安がるでしょうが、きれいなオフィスで迎え入れてきちんと挨拶をしてくれたら、不安は吹き飛びます。だから、これは全てお客様のためにやっていることなので、教育も掃除も全て仕事です」と話しています。仕事の定義を変えてきた、という感じですね。

この課題を塗装で解決できないか、と相談される存在になりたい。

当社の仕事は「色を付ける」ということなのですが、眼鏡も、バイクのチェーンも、ハサミも、形は100年前から変わっていないけれど、塗装したものは価値のある商品として売れる。それはコラボ商品であったり、ピンク色のマイクだったりして、色によってターゲット層が変わり、お客様が欲しいと思う商品に仕上げていくことができる。それが当社の仕事の醍醐味ですね。

地道に環境を整えてきて、いまはやっと自分のやりたいことにも挑戦できるようなスタートラインに立ったかなという感覚です。やりたいことはたくさんありますね。例えば塗料のなかには段ボールに塗ったらガスバーナーを当てても燃えない耐火塗料、水をはじく撥水塗料、電磁波をシールドして中の機械が電磁波の影響で誤動作するのを防ぐ導電性塗料など、特殊な機能を持ったものがあります。

ですが、そもそも塗料で解決できるということが知られていないので検索もされない。それをどうやって知ってもらおうかと考えたとき、みんなが好きなマンガみたいな感じでPRしてみたいと思いました。「ニンジャコート」というのを当社の塗装ブランドにして、展示会で忍者コスプレをしてみたらすごく人が来てくれたので、そういうことも続けてやっていきたいですね。いろいろな場面で「こういう問題点があるんですけど、塗装で解決できませんか」と相談してもらえるようにしたいので、マーケティング手法を使いながら、自分らしく楽しみながら仕事をしていこうと思っています。

同業他社や地元の企業と連携しながら仕事をしていく姿が理想。

AI技術をはじめとして、設備や機械への先行投資は積極的に行っています。いざ仕事が来てから導入するよりも、「それは持っているのですぐに取り掛かれます」という状態の方がお客様に対して良いと思うからです。正直なところ、いまはまだAIで検査するより人がやったほうが3倍も速いのですが、今後本当にAI技術が必要になったとき、AIがどういうものか分からないところからスタートするのとは全然違います。導入したことで失敗も、勉強できることもあるでしょう。そのノウハウはどうしても人に蓄積していくので、社員の皆には長く居てもらいたいと思っています。

今はわが社だけで成り立っているビジネスですが、当社だけでは対応できない仕事量になってきたら、同業他社と連携しながらやっていくというのが、私が理想として描いている業態です。例えばお客様から新しい商品に塗装してほしいという依頼で、3Dプリンターで試作品は出来たけれど、まだ金型はできてないという段階のときがあるんです。

現在は、当社の3Dプリンターで作成したものに塗ってみて、「こんなふうになりますよ」と提案しています。今後はその段階のときに、当社から近くの射出成型が得意な会社を紹介できたら、鯖江に仕事がくることになります。それにうちが塗装して納品できるような形になったらいいなと思っています。

当社は製造業なので、クリエイティブな思考というか、こういった場で自分の力を試したいと思っている人、我々と一緒に考えて、模索していってくれる人を求めていますね。会社のブレインになって自分の力を試したいと思っている人からは、「何をしたらいいですか」という質問は来ないと思うんです。一緒に考えて、ワカヤマのこれからを拓いていってくれる人と出会えたらと思っています。

編集後記

コンサルタント
小林 洋平

普段から若山社長にご連絡するたび、新しい事業のお話を聞かせていただいております。「なぜ、こんなに次々とアイディアが生まれるのだろう」と感じていましたが、取材当日、「コシヒカリ」のエピソードを伺った瞬間、社長の軸足が鯖江という土地に深く根差していること、そしてそれがアイデアの源泉になっていることが分かりました。

若山社長、そして同社が渦の中心となって、鯖江に新しい事業を次々と生み出す。そんな姿を想像すると楽しみでなりません。ぜひこれからも、同社の未来を社長とともに切り拓く人材をご紹介できるよう、精一杯尽力していきたいと思います。

関連情報

株式会社ワカヤマ 求人情報

企業TOPインタビュー一覧

ページトップへ戻る