アナログの心を守り続ける。音響メーカーの矜持と変革の歩み。
株式会社オーディオテクニカフクイ
常務取締役 谷下 巧
福井県生まれ。産業能率大学卒業。
1987年 株式会社オーディオテクニカフクイ入社。
2011年 常務取締役 就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
地元・越前で出会った音響メーカー。キャリア形成と成長の道筋。
私がオーディオテクニカフクイに入社したのは1987年。当時は神奈川県の大学に通っていたものの、家を継ぐために地元である越前市へ戻る必要があり、実家から通える範囲にあった当社を就職先に選びました。
そのため当初は会社の業務内容についてはほとんど知らず、おしゃれな会社のロゴを見て外資系企業だと勝手に勘違いしていたほどです(笑)。工場見学に行ったところ事業内容に興味がわき、その場で入社試験を受ける流れになり、気づけば入社が決まっていました。
入社当時、オーディオテクニカフクイは設立17年目で福井県内に三つの工場を持ち、400名以上の従業員を擁していました。私は製造部門の資材課で出庫担当を務め、その後は購買、生産管理、情報システム部門を経て総務課に移りました。
さらに、総務課で10年以上働き、39歳で取締役となり、その後中国工場の総経理として4年赴任。帰国後は生産部のゼネラルマネージャーとなり、47歳で常務取締役に就任しました。
当時の主力製品はレコード用のカートリッジでした。カートリッジはレコードプレーヤーの針の部分で、コイルと磁石を使って音を発生させます。この仕組みは音を電気信号に変換するアナログ技術を利用したものです。月100万本の針を生産しており、非常に景気のいい時代もありました。
事業選択と技術革新、そして海外展開経営で経営危機を乗り越える。
しかし、1980年ごろにCDが発明されたことで、レコード針の需要減少が予想されました。そのため、会社はCDピックアップの製造を始めたのですが、当初は技術が確立していなかったため不良品も多く、幾多の苦労を重ねました。
さらに時が経つにつれて、オーディオテクニカ本体の経営状況も悪化し、「福井の3工場をどうするか」という話が出るようになりました。そのような状況の中、私の前々任の常務が「私に任せてほしい」と社長に進言。彼が責任者となって事業の選択と集中を進め、不採算部門の整理を行いました。
結果的に、「収益性の低い事業は思い切って見直す」という方針のもと、高付加価値製品に力を入れることで、約1年で収支バランスを改善できました。
その後、彼は中国工場の設立を決めました。知人の現地有力者の協力もあり、通常半年以上かかる会社設立を、わずか3日で完了させるという偉業を成し遂げたのです。当初は13人ほどから始め、少しずつ仕事を中国に移管。CDピックアップも再び製造することになりましたが、今度はOEMで顧客の仕様に合わせて製造する方法をとりました。
時代の流れとともに、CDからMD、DVD、ブルーレイへと光ディスクの市場が拡大し、当社の中国事業も急成長を遂げて現地の従業員は最大で1万人近くにまで増加しました。しかし、アップルが「ディスクドライブは不要、クラウドの時代だ」と方針転換したことで、市場は急変。在庫が膨らみ、当社への注文も減少したため、最終的に光ピックアップ専門の工場は別の事業へと転換することになりました。
私自身、30歳ごろから総務課で長らく厳しい人事施策に関わった経験から、「社員を大切にする企業風土を何としても守っていきたい」という想いを深く心に刻むことになったのです。
当社が厳しい経営危機から回復できたのは、創業者の息子である現代表取締役社長の松下和雄の手腕によるところも大きかったと言えるでしょう。就任当時、売上120億円に対して約60億円の借入金がありましたが、わずか3年で無借金経営を実現。現在の福井工場は本社から十分に援助を得られる環境であり、「お金の心配をしなくていい」ことが当社の強みの一つとなっています。
アナログコア&デジタル技術の融合。音響技術へのあくなき探求心。
当社は「アナログコア」と呼ばれる技術を大切にしています。音に関するアナログ技術は非常に奥が深く、ちょっとしたことで音質が変わってしまう世界です。例えば、「スピーカーの上に越前和紙を乗せると音が変わる」「CDの盤を赤く塗ると音が変わる」など、不思議なことがたくさんあるのです。
そのため、各音響機器メーカーには音質を決定する専門家がいて、「当社の音はこれだ」という基準を持ち、わずかな部品の変更で何百通りもの組み合わせを試しながら音質を調整します。その一方で、現代のオーディオ機器はデジタル技術も重要な要素となっており、デジタル化やネットワーク化にも対応していく必要があると考えています。
例えば、会議システムではマイクロホンがコンピューターで制御されている状態が一般的です。つまり、話している人の方にカメラが向いたり、マイクの状態を監視できる機能があるのです。
これらはソフトウェアで制御されており、開発には多くの費用がかかります。外注すると費用も高く、社内にノウハウが残らないため、自社開発を重視していますが、需要の拡大に対して人材確保が難しい状況が続いています。ソフトウェアの技術者が全然足りないというのが当社の現状の課題です。
オリンピックで採用された日本発音響技術の軌跡と成果。
オーディオテクニカグループの売上は632億円(2024年3月期)で、その半分は海外での売上です。カラオケ関連製品は国内向けが中心ですが、マイクロホンや会議システムなどは海外が中心となっています。特にアメリカでは、教会やさまざまな集会で当社のマイクロホンが多く使われています。
世界のマイクロホンメーカーとしては、ドイツのゼンハイザーとアメリカのシュアが特に有名ですが、当社もこの2社に追いつこうと努力を続けています。これらの会社は研究開発への投資が非常に大きいため、その差を埋めるのは簡単ではないですが、当社の追い上げは着実に進んでいます。
1996年のアトランタ大会以降、長野大会を除いて、すべてのオリンピックで当社の製品が公式マイクロホンとして使われています。オリンピックの競技場には、2000から4000本ものマイクが設置され、さまざまな音を拾っています。
例えば、バレーボールでは、ガンマイクという特定方向の音を拾うマイクでボールの音を拾い、陸上競技ではバウンダリーマイクという平らなマイクで選手の足音を拾います。さらに野球場では、フェンスにマイクを設置してボールがフェンスに当たる音を拾うといった工夫もしています。
なお、カーリング競技では、選手全員がマイクをつけてプレーをしますが、これはカーリング協会が競技の面白さを多くの人に知ってもらおうと考えて始めた取り組みです。オリンピックの開催期間中は、非常に多くのマイクと受信機を管理する必要があるため、思わぬトラブルを防ぐために当社の社員が現地に赴いて対応をしています。
音楽を愛する人々の力が集結した、福井発の製品づくりの喜び。
当社には「音楽が好きな人」が集まる傾向が見られます。採用面接では、「当社は音楽そのものを扱う会社ではありませんよ」とは伝えていますが、音楽に関わる仕事ができることに魅力を感じて入社する人が多いです。実際に、「ヘッドホンの設計や製造、品質管理を通じて、音楽を楽しむための製品作りに関われることが幸せだ」と多くの社員が語っています。
福井県内では、最終製品を作っている会社があまり多くないのが現状なので、私たちは求職者の皆さんに「自分たちが作った製品が電気屋さんで売られている」とか「テレビで見ることができる」という点をアピールしています。
例えば、カラオケ店にあるカラオケマイクの多くは当社製品で、県内の協力会社で製造されて最終的な組み立てまで福井県内で行われています。このように私たちは、「自分たちの作ったものが、実際に売られているのをこの目で見られる喜びがあります」というメッセージを次の世代の人たちにも強く伝え続けています。
伝統の重みと人間の感性を重視しながら、音の未来を築く。
オーディオテクニカフクイは2025年で55周年を迎えますが、一貫して「人間の感性が豊かさの根源」というアナログ観を大切にしています。時代が変わっても人間中心の考え方を持ち続け、音の可能性を信じ、多様な音体験を創造することが私たちの企業理念です。
もう一つの特徴は、創業当時から続く「従業員ファースト」の文化です。休みが取りやすく、田植えや稲刈りといった家庭の事情での休暇も柔軟に対応しています。4月の入学式が集中する日は会社全体を休業日とし、地域でいち早く週休2日制も導入しました。
経営が厳しい時期でもボーナスは継続的に支給され、年間5.5ヶ月分が安定して支給されています(2024年度)。福利厚生も充実しており、厚生労働省による「ユースエール企業」にも認定されました。
私たちの使命は、今後も新しい価値を生み出し、音楽を愛する人々に感動を提供することです。そのためにも、感性豊かで高性能な製品を提供し、信頼される企業を目指す必要があります。
だからこそ、当社では音楽を愛する方を求めており、中でもソフトウェア開発の技術者を積極的に採用しています。音楽とものづくりに情熱を持つ私たちと共に、音響の次世紀を築いていきませんか。